働く意味
「働く」意味って何だろう?
収入を得ること、社会に貢献すること、自己実現すること、
人それぞれ、様々な意味があると思う。
じゃあ例えば、収入がなければ、働く意味はないのだろうか?
無報酬の家事労働、育児、介護、保護者会やPTA活動、地域活動に関わる人は、「働いていない」のだろうか?
20か所以上の保活ののちに入園が決まった矢先、育休復帰が叶わずに途方に暮れた1年前をふと振り返る。
臨月まで朝から晩までシフト勤務をこなし、フルタイムで働いていた頃の収入で計算された認可保育所の保育料は月額5万円以上。しかし、急きょ転職してパートタイムになった時の収入は、辛うじてマイナスにならなかったものの、保育料と税金と、せいぜい携帯料金程度の収入のために、0歳児の娘を預けて働くことに心が折れそうになったこともあったし、移住するときも、夫の仕事より前に自分の仕事を決め、1歳の娘の預け先も決まらないうちから、引越の2日後に勤務開始。客観的に見て、我ながら、なかなかの強者だと思う。
そこまでして働く意味はあるのか?今でも脳裏によぎることはあるけれど、私自身が、いくら時間があっても家事に手間をかけることが不得手で、専業主婦に向かないことは自分で重々自覚していて、わずかでも自分の収入があること、家庭以外の社会とつながっていること、娘を多くの人との関わりの中で育てたいという気持ちから、働き続けていてよかったな、と心から思う気持ちに偽りはなし。
「働く」の語源は、「傍を楽にする」という意味もあり、必ずしも収入を伴うことに限らないし、収入の多い・少ないで人間の価値が測れる訳でもない。
きれいごとかもしれないけれど、収入の有無や程度に関わらず、自分の人生で関わる全ての人々を本質的に敬って生きていきたいし、自分自身も誇りを持って生きていきたいと願うのです。