マイルール
1歳9ヶ月になり、早くも日に日に語彙が増え、自分の意思もハッキリしてきた娘だけに、いろいろとマイルールが出てきて、面白いけれど、ややこしい。お茶ひとつにしても、自分が飲む前に、「おかーしゃんの、かんぱーい」の掛け声と、玩具だの食器だの、テーブルの回りのあらゆるモノに「くっくっくっ」と飲ませ(る真似をし)てから、という果てしない儀式😅😅
テレビで見た洗濯物をたたむ真似とか、トイレ(おまる)に座るとか、毎日の繰り返しが生活習慣の獲得につながることも感じるので、大人の感覚を一旦置いて、興味関心を大切に、気長に見守っていきたいところです。
働く意味
「働く」意味って何だろう?
収入を得ること、社会に貢献すること、自己実現すること、
人それぞれ、様々な意味があると思う。
じゃあ例えば、収入がなければ、働く意味はないのだろうか?
無報酬の家事労働、育児、介護、保護者会やPTA活動、地域活動に関わる人は、「働いていない」のだろうか?
20か所以上の保活ののちに入園が決まった矢先、育休復帰が叶わずに途方に暮れた1年前をふと振り返る。
臨月まで朝から晩までシフト勤務をこなし、フルタイムで働いていた頃の収入で計算された認可保育所の保育料は月額5万円以上。しかし、急きょ転職してパートタイムになった時の収入は、辛うじてマイナスにならなかったものの、保育料と税金と、せいぜい携帯料金程度の収入のために、0歳児の娘を預けて働くことに心が折れそうになったこともあったし、移住するときも、夫の仕事より前に自分の仕事を決め、1歳の娘の預け先も決まらないうちから、引越の2日後に勤務開始。客観的に見て、我ながら、なかなかの強者だと思う。
そこまでして働く意味はあるのか?今でも脳裏によぎることはあるけれど、私自身が、いくら時間があっても家事に手間をかけることが不得手で、専業主婦に向かないことは自分で重々自覚していて、わずかでも自分の収入があること、家庭以外の社会とつながっていること、娘を多くの人との関わりの中で育てたいという気持ちから、働き続けていてよかったな、と心から思う気持ちに偽りはなし。
「働く」の語源は、「傍を楽にする」という意味もあり、必ずしも収入を伴うことに限らないし、収入の多い・少ないで人間の価値が測れる訳でもない。
きれいごとかもしれないけれど、収入の有無や程度に関わらず、自分の人生で関わる全ての人々を本質的に敬って生きていきたいし、自分自身も誇りを持って生きていきたいと願うのです。
4回目の慣らし保育
1ヶ月通った認可保育園の一時保育に慣れてきたところで、今日から自宅と義実家の間にある認可外の保育園の慣らし保育。去年0歳児クラスで入園してから4ヵ所目、はじめは泣くけれど2時間後迎えに行くとニコニコの我が子の逞しさに救われ、新しい環境に少しずつ慣れて行けたらと思います。
新天地
横浜市に事務局がある「株式会社 AsMama」子育てシェアを通して地域の子育てシェアリングや繋がりを深める取り組みを知ったのは、横浜市から福岡に移住してから。
偶然立ち寄ったショッピング施設「イオン乙金店」で見かけたチラシ、「おとがっこひろば」を見て交流イベントに参加し、ママサポと呼ばれるスタッフさんとの交流をきっかけに、本日、自分も「ママサポ研修」なるものを子連れで受講して参りました。 オンラインでの研修は音声トラブルなど試練も続出でしたが、母としても、ママサポとしても、そしてキャリアコンサルタントとしても大先輩の方の心強いサポートのおかげで無事第一関門を突破し、新天地での活動に一歩踏み出しました。