みらいえーる 〜移住と育児と場づくりと〜

2歳児を育てるアラフォー移住女子「かなママ」が、こどもとおとなが育ち合う場づくりを目指して、徒然なる日常を綴ります

海上生活

震災後の半年間くらい毎週夜行バスで石巻に行ったり、わりとサバイバルな移動に慣れている方ですが、泊まりがけのフェリーは今回が初めて。昨夜は夜中に雨風が強くなり揺れたので、夫は寝不足のようですが、私と娘は自宅以上にグッスリ寝ていました😅この鈍感力は誰に似たのやら。
船体が新しく、バリアフリー仕様の客室や専用浴室があったり、キッズルームやペットルームがあったり、レストランがないけれど食品自販機が充実していたり、何より24時間使える大浴場がキレイで、大パノラマの大海原を望める入浴等々、結構楽しんでいます☆

ボン・ボヤージュ

 今夜は19時半に東京有明を出航し、徳島を経由し、明後日早朝に北九州に到着するフェリーにて軽自動車と家族三人、初めての船旅で引っ越し中です。大晦日に一旦横浜に戻り、年明けに業者さんでの引っ越し。

おかげさまで娘の熱も下がり元気になったので、出航前に中学時代の友人ファミリーとおうちパーティー、産院で生後数日から会ってきた子どもたちも、4歳~8歳になり、子ども同士でカルタ遊びなどで盛り上がる最中、1歳の娘が果敢に乱入していく光景に、幸せを感じたひとときを胸に、新たな航海に出航いたします☆

街の色

横浜で迎えるラストクリスマス。学生時代から毎月のように苦楽を共にしてきた信州の友人と、20年来ライブに通い続けてきた「ゆず」の路上ライブの地での歌会で締めくくり。先日は解散疑惑騒動でネット上炎上気味の一幕もあったようですが、筋金入りのファンとしては、普段は無関心であろう周りの反応の方がむしろ驚きで、先日の通信障害騒動でも感じたけれど、ネット社会の怖さというか、影響の大きさに、情報や道具に振り回されずに、物事の本質を自分自身の感覚で判断することの大切さを改めて思うのでした。

クリスマス・イブ

 雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう〜♪と、山下達郎さんの曲を起用したJRのCMが大ヒットした頃は中学生だった私ですが、クリスマスソングは数知れずあれど、今でもこの曲を聞くと、あ〜今年も年の瀬がやってきたなあ、と感じます。

 新卒で働いた児童養護施設カトリックで、その後も保育士としてクリスマス会を主催する立場で働いていたので、毎年この時期は一番忙しい時期!クリスマス会=クルシミマス会だとボヤいてきましたが、職を離れている今年は純粋にお客さん側だから、世の中のウキウキムードを楽しめるかしら、と思いきや、そうは問屋が卸しません。明後日夜には車の引越しでフェリーで九州に出発するというこのタイミングで、娘の鼻詰まりが悪化しつつあり、遂に38度台の発熱、熱の割に元気はあるけれど、もれなく夫もダウン気味・・。さてさてどうなることやら。八百万の神に祈るばかりでございます。

年賀状

 毎年、元旦に届けるためにはクリスマスまでには投函を、とアナウンスされる年賀状。去年は喪中だったこともあり、今回は子どもが生まれて初めての年賀状作り。

 とはいえ、根っからのズボラ女の私は年内に投函できることは稀で、大抵は年が明けて頂いた年賀状に返信をするような形の殿様商売(!?)で昭和平成の世を駆け抜けてきてしまったのですが、平成のフィナーレを飾る記念すべき年、娘の年賀状デビューの名誉もかけて、そして年明けすぐに住所が変わるという物理的な事情もあり、今回は珍しくクリスマス前にちゃんと取り掛かってます!どうか元日に届きますように。

そして年末年始、世の中がのんびりムードの最中で激務に勤しんでくださる郵便屋さんと関係する皆様に心から感謝申し上げます。

 

 宮城県石巻市の被災地には震災後、避難所となっていた学校で放課後の遊び場、居場所作りのボランティアに定期的に通っていた頃があり、現地の看護学生だったボランティア仲間とは今でも繋がっていて、移住前に横浜に会いに来てくれました。高速バスで早朝に現地に着くと、手づくりパンを焼いてくれたり、夜行バスの出発まで休憩させてくれたり、沢山の思い出があります。夜は、娘とベビースイミング帰りに通った家カフェでの本格ジャズライブに家族で参加、オーナーさんやピアニストの方々との温かな繋がりが心地よく、九州は遠くなるけれど、こうした繋がりのひとつひとつが、新たな一歩を踏み出す大きな力になっており、感謝ばかりです。

道程

 僕の前に道はない、僕の後ろに道は出来る。

中学生の頃、国語の授業で学んだ高村光太郎の詩歌をふと思い出す。

今日で夫がサラリーマン生活に終止符を打ちます。

子どもが生まれたから、父親になったから、今まで以上に責任を背負って仕事に打ち込むのが男として、夫として父としてあるべき姿なのに、よくもまあ許したね。

自分の身の回りでは、両親含め100人中97人くらいはだいたいそんな感想でした。

娘を授かってからこの結論に至るまで、自分自身も様々な選択肢を考え、娘とともにどう生きていくか、一時期はシングルマザーとして生きる道も本気で考えましたが、自分自身が最長で勤続5年、短いスパンで8回の転職を経験していることや、キャリアコンサルタント養成講座での学びでも、これからの時代はどんな大企業であっても会社に守ってもらえる保証はなく、1人ひとりが自分のキャリアを開発し、どう生きるかを常に意識していく必要が迫っていることを実感して、ひとつの所に留まるのがベストとも言い切れず、一度しかない人生だから、チャレンジできること、やってみたいこと、娘にとってよっぽど致命的なダメージにならない限りでなら多少の冒険をしてみてもいいのかな。という結論に至り、道のない道を歩み始めることにしました。